2009年08月31日
第2回住まいの小学校
昨日は、第2回住まいの小学校でした。
今回は土壁の話し。
まずは、少し前に自ら土壁の家をつくり、住んでいる大工さんのお話。
土壁の家と言っても田舎づくりの四ツ間ではなくって、どっちかといと現代版の住まい。

つくる過程や暮らしの中でいろいろ感じたこと、考えたことをお話しくださいました。
次は、左官屋さんのお話し。
土のこと、土壁のこと、職人のこと、いろいろお話ししてくださいました。


土壁を通して見えること。
伝統って何?
なぜ、伝統がなくなっていくのか?
伝統的な技術ならなんでもいいのか?
意外と職人はマイナス思考で仕事を残してきた部分が多い。
職人の姿勢はどうあるべき?
人のいうことを鵜呑みにしていたらあかん。
立ち止まって考えて、経験して、納得して初めて本物の技術になる。
いろんな視点で話しが広がります。
土も見せていただきました。

甲賀の土

竜王の土

近江八幡の土
色も手触り感も違います。
最後は車座になって、ざっくばらんにおしゃべりです。

土壁を一からつくってみたいけど、どうしたらいいですか?
土壁の扱い方は?
どこの土がいいの?
しゃべれる職人さんがもっと増えたらいいのに。
伝統って何?
いつの時代のこと?
昔のやり方が伝統やない。
昔から受け継がれている知恵の上に
自分達がちゃんと考えて、みんなが納得し喜ぶような仕事をすること。
それが伝統になっていく。
技術だけやない。心もないとあかん。
今回もいろいろな話しが出ました。
これからの住まいはどうあるべきなんでしょうか?
答えはでません。
もっともっと考えて、実践して答を見つけ出していきたいと思います。
さて、次は何しましょう・・・・・。
お楽しみに!
今回は土壁の話し。
まずは、少し前に自ら土壁の家をつくり、住んでいる大工さんのお話。
土壁の家と言っても田舎づくりの四ツ間ではなくって、どっちかといと現代版の住まい。
つくる過程や暮らしの中でいろいろ感じたこと、考えたことをお話しくださいました。
次は、左官屋さんのお話し。
土のこと、土壁のこと、職人のこと、いろいろお話ししてくださいました。
土壁を通して見えること。
伝統って何?
なぜ、伝統がなくなっていくのか?
伝統的な技術ならなんでもいいのか?
意外と職人はマイナス思考で仕事を残してきた部分が多い。
職人の姿勢はどうあるべき?
人のいうことを鵜呑みにしていたらあかん。
立ち止まって考えて、経験して、納得して初めて本物の技術になる。
いろんな視点で話しが広がります。
土も見せていただきました。
甲賀の土
竜王の土
近江八幡の土
色も手触り感も違います。
最後は車座になって、ざっくばらんにおしゃべりです。
土壁を一からつくってみたいけど、どうしたらいいですか?
土壁の扱い方は?
どこの土がいいの?
しゃべれる職人さんがもっと増えたらいいのに。
伝統って何?
いつの時代のこと?
昔のやり方が伝統やない。
昔から受け継がれている知恵の上に
自分達がちゃんと考えて、みんなが納得し喜ぶような仕事をすること。
それが伝統になっていく。
技術だけやない。心もないとあかん。
今回もいろいろな話しが出ました。
これからの住まいはどうあるべきなんでしょうか?
答えはでません。
もっともっと考えて、実践して答を見つけ出していきたいと思います。
さて、次は何しましょう・・・・・。
お楽しみに!
Posted by 住まいの小学校 at 22:13│Comments(1)
│琵琶湖博物館
この記事へのコメント
昔(といっても多分昭和30年代以前)は、本文にあるような地元の土を使って、地元の家を建てていた。
地産地消です。ただ以前は土という重さのワリに単価の安いものを運搬する
経済性不合理性からそうなったのだと思うのですが。
それらの微妙な違いが、もしかしたら郷土色のようなものにもつながり
よくいわれる、「全国どこへ行っても同じ町並み・建物ばかり」
ということにならなかったのだろう、とも思いました。
今は、そのような天然の土を使って塗る職人さんとして全国で工事をされているようでした。
技術的な話はさておいて、お話を聞いていて、
その土を見る「目利き」、それは地質学者のように博学だ、と思ってしまいました。
紙の上ではなく、
目や手触り、土を塗るという筋肉の感覚(粘り・堅さ)など全ての感覚を動員した
それらの知識は深く、かつ経験的・直感的です。
時々、職人さんとお付合いをしていて驚かされることがある。
ペンキ屋さんは、においと塗る時の感覚などを通して、
そのペンキ(溶剤)の組成について、化学者のように分析してみたりする。
大工さんは、カンナで削られた木材の表面を見るだけで
その木について植物学者のように分析してみたり、
刃物の切れ味を冶金学者のように見ていたりする。
例えば、私が使っていたチェーンソーの刃をパッと見ただけでも
「きれやんでいるがな(切れ止んでいる)」
「どうして」ときくと
その刃物の先を見て微妙に青く光る感じから
「無理させたやろ、ヤキがまわってしもてるがな。」という風に。
注記)焼きが回るの「焼き」は、刃物を作る際に行う「焼き入れ」のこと。
焼き入れは、刃物を堅く鍛えて丈夫にし切れ味を良くするために必要なこと
だが、火が回り過ぎるとかえって刃がもろくなったり、切れ味が悪くなる。
それらの感覚から出て来た言葉の端々に、その洞察力に、驚かされるのである。
それらは職業的な五感を総動員した直感であり、その直感は正しいことが多いようだ。
しかし、それらは学問的に系統建てていないので、
その正当性を、他人に理屈として説明することが中々困難なようだ。
「そうなっている。何故って言われても見たら(さわったら)わかる。」
彼らにとってはそうなのだろが、私にはわかりません。
良い職人さんは、その分野において総合的な直感の博物学者だな~
と、改めて感じてしまいました。
誤解を招くといけないので最後に一言。
その日の左官屋さんのお話は講師をされるだけあって、色々上手に説明されていました。
地産地消です。ただ以前は土という重さのワリに単価の安いものを運搬する
経済性不合理性からそうなったのだと思うのですが。
それらの微妙な違いが、もしかしたら郷土色のようなものにもつながり
よくいわれる、「全国どこへ行っても同じ町並み・建物ばかり」
ということにならなかったのだろう、とも思いました。
今は、そのような天然の土を使って塗る職人さんとして全国で工事をされているようでした。
技術的な話はさておいて、お話を聞いていて、
その土を見る「目利き」、それは地質学者のように博学だ、と思ってしまいました。
紙の上ではなく、
目や手触り、土を塗るという筋肉の感覚(粘り・堅さ)など全ての感覚を動員した
それらの知識は深く、かつ経験的・直感的です。
時々、職人さんとお付合いをしていて驚かされることがある。
ペンキ屋さんは、においと塗る時の感覚などを通して、
そのペンキ(溶剤)の組成について、化学者のように分析してみたりする。
大工さんは、カンナで削られた木材の表面を見るだけで
その木について植物学者のように分析してみたり、
刃物の切れ味を冶金学者のように見ていたりする。
例えば、私が使っていたチェーンソーの刃をパッと見ただけでも
「きれやんでいるがな(切れ止んでいる)」
「どうして」ときくと
その刃物の先を見て微妙に青く光る感じから
「無理させたやろ、ヤキがまわってしもてるがな。」という風に。
注記)焼きが回るの「焼き」は、刃物を作る際に行う「焼き入れ」のこと。
焼き入れは、刃物を堅く鍛えて丈夫にし切れ味を良くするために必要なこと
だが、火が回り過ぎるとかえって刃がもろくなったり、切れ味が悪くなる。
それらの感覚から出て来た言葉の端々に、その洞察力に、驚かされるのである。
それらは職業的な五感を総動員した直感であり、その直感は正しいことが多いようだ。
しかし、それらは学問的に系統建てていないので、
その正当性を、他人に理屈として説明することが中々困難なようだ。
「そうなっている。何故って言われても見たら(さわったら)わかる。」
彼らにとってはそうなのだろが、私にはわかりません。
良い職人さんは、その分野において総合的な直感の博物学者だな~
と、改めて感じてしまいました。
誤解を招くといけないので最後に一言。
その日の左官屋さんのお話は講師をされるだけあって、色々上手に説明されていました。
Posted by honda
at 2009年09月01日 20:27
