2009年10月30日
感想・・・・
先日の第3回住まいの小学校の参加者の方の感想をご紹介
・快適な家、手間のかかる家、暮らし、生き方、考えるよい機会になりました。
・お話を聞いていて、繋った思いで集っている講演会なんだなと思いました。
・署名活動がおきるように協力していきたいです。暮らしの発見は、日常の暮ら
しの中からきっと見つかると思います。今日はありがとうございました。
・感謝する、感動する日々の暮らしはどうすれば拡がるのか?
・『住』から、「消費者」ではなく「生活者」の視点をもって、生き方を考える
ひとつの機会になりました。ありがとうございました。 設計者さん、建築業者
さんと一般市民との対話できる場を別に設けられたらよいのではないでしょうか。
・非常に理想的な住まいと。が、メンテナンス的な作業も大きくなる。とすれ
ば、子供の同居が必至となりそうに思う。一方、小生の様な子供が居ず、実家か
らはなれ兄弟と別居(家族毎に)している中では、第一歩から無理と考えざるを
得ないと思う。(高原正成)
・木考塾のプロの方から、たとえばファッションのプロの方へ共同出来る方向を
作れないものか。
いろいろ感想をいただき、ありがとうございます!
新しい出会い、発見のある有意義な会でした。
今後も頑張っていきたいと思います。
・快適な家、手間のかかる家、暮らし、生き方、考えるよい機会になりました。
・お話を聞いていて、繋った思いで集っている講演会なんだなと思いました。
・署名活動がおきるように協力していきたいです。暮らしの発見は、日常の暮ら
しの中からきっと見つかると思います。今日はありがとうございました。
・感謝する、感動する日々の暮らしはどうすれば拡がるのか?
・『住』から、「消費者」ではなく「生活者」の視点をもって、生き方を考える
ひとつの機会になりました。ありがとうございました。 設計者さん、建築業者
さんと一般市民との対話できる場を別に設けられたらよいのではないでしょうか。
・非常に理想的な住まいと。が、メンテナンス的な作業も大きくなる。とすれ
ば、子供の同居が必至となりそうに思う。一方、小生の様な子供が居ず、実家か
らはなれ兄弟と別居(家族毎に)している中では、第一歩から無理と考えざるを
得ないと思う。(高原正成)
・木考塾のプロの方から、たとえばファッションのプロの方へ共同出来る方向を
作れないものか。
いろいろ感想をいただき、ありがとうございます!
新しい出会い、発見のある有意義な会でした。
今後も頑張っていきたいと思います。
Posted by 住まいの小学校 at 13:00│Comments(1)
│琵琶湖博物館
この記事へのコメント
家族が対外的に行う一番大きなイベントが、結婚式と葬式。
次に、法事や地元の祭礼、お正月の行事など。
結婚式は、今は家で行うことはほとんどない。
結納の儀式はすることもあるかもしれないが、
その後の宴は、どこかの料理屋を借りて、ということになると思う。
お葬式の方は、この地方ではまだ自宅で出すことの方が主流。
二十歳過ぎのヒヨッコ設計士だった私に、父は
「輿(コシ-棺を親族で運ぶための道具)が通らんような家の間取りではあかんわい」
と、田舎の家の図面を書くときによく言ってました。
床の間の前に置かれた棺を、親族が両側から支えて外へ持ち出すには、
少なくとも1間の巾が外部まで続いてなければならない。
田舎でも間取りの関係で縁側から棺を出す場合もありますが、
できれば最後の旅立ちは玄関から出してあげたい。
お葬式の時、建具を全て開け放てば、玄関に焼香台が置かれて、
床の間の前にある祭壇が、ちゃんと正面方向に見え、拝むことが出来るようになどなど。
学校で、「家族が快適に暮らせる合理的な家」が金科玉条のように教えられてきた私は、
「死んだモンより生きているモンのために作るべき」と、心の中で大いに反発したものです。
しかし、最近は、それこそが住まう文化だったような気がしてきました。
「住まう」を「寿舞う」と当て字された方がいます。
今は住まいが、
生活と歴史や文化と渾然となって共にあった過去のものではなく
生物の棲家のようになっているような気がしないでもありません。
次に、法事や地元の祭礼、お正月の行事など。
結婚式は、今は家で行うことはほとんどない。
結納の儀式はすることもあるかもしれないが、
その後の宴は、どこかの料理屋を借りて、ということになると思う。
お葬式の方は、この地方ではまだ自宅で出すことの方が主流。
二十歳過ぎのヒヨッコ設計士だった私に、父は
「輿(コシ-棺を親族で運ぶための道具)が通らんような家の間取りではあかんわい」
と、田舎の家の図面を書くときによく言ってました。
床の間の前に置かれた棺を、親族が両側から支えて外へ持ち出すには、
少なくとも1間の巾が外部まで続いてなければならない。
田舎でも間取りの関係で縁側から棺を出す場合もありますが、
できれば最後の旅立ちは玄関から出してあげたい。
お葬式の時、建具を全て開け放てば、玄関に焼香台が置かれて、
床の間の前にある祭壇が、ちゃんと正面方向に見え、拝むことが出来るようになどなど。
学校で、「家族が快適に暮らせる合理的な家」が金科玉条のように教えられてきた私は、
「死んだモンより生きているモンのために作るべき」と、心の中で大いに反発したものです。
しかし、最近は、それこそが住まう文化だったような気がしてきました。
「住まう」を「寿舞う」と当て字された方がいます。
今は住まいが、
生活と歴史や文化と渾然となって共にあった過去のものではなく
生物の棲家のようになっているような気がしないでもありません。
Posted by honda at 2009年11月19日 21:45