2009年06月07日
第一回終了
今日は、住まいの小学校の第一回目の日。
お天気もよくて、琵琶湖博物館は気持ちがよかったです。


会場はこの工房で・・・・
お天気もよくて、琵琶湖博物館は気持ちがよかったです。
会場はこの工房で・・・・
木考塾のKさんが、まずは話のきっかけとなるように事例を発表してくださいました。
そして、博物館で採れたお茶葉を手もみしてつくられたお茶をいただき、
(田舎のおばあちゃんちで味わったなつかしいお茶の味~

車座になって、お話し会です。
いろいろな意見がでました。
どうしたら長く住める?
丁寧に心通ってつくられた家は長く住めるのかも!?
でも長く住む必要があるのか?今の社会でできるのか?
一般の人たちには、100年住むイメージなどわかないぞ。
資源が循環することで住まいと暮らしが変わる?
それとも資源が循環するように住まいと暮らしを変えるのか?
資源が循環するためには、人育て(大工育て)がなければ成り立たないよ。
他にもいろいろ多くの意見がありました。
今日一日で、結論はでるはずもなく・・・・(でるわけがないですよね)、次回に続く・・・となりました。
いろいろ奥が深いです。
でも、こうやっていろんな立場の人(住まいを建てる側、一般の人、環境を考える人、学芸員の方)が集まって、
住まいや暮らしの話をすることは、今までなかったこと。
それが実現したことは、とても大切で意味のあることだと思います。
住まいや暮らしの事を真面目に話をしたことってあります?
意外な発見や知っておくべきことがたくさんあります。
少しずつこの輪が広がって、ちゃんとした社会づくりにつながればいいなぁと思います。
取りまとめの詳細発表はまた後日。
今日はとりあえず、速報ということで・・・。
次回は、8月30日(日)です。
興味ある方は、ぜひご参加ください。
参加された方のコメントもお待ちしてます!
Posted by 住まいの小学校 at 22:04│Comments(4)
│琵琶湖博物館
この記事へのコメント
いい経験になりました。準備やあとかたづけをしていただいた方にちゃんとお礼が言えてませんでした。ありがとうございました。
次回も楽しみにしています。
次回も楽しみにしています。
Posted by 木村 敏 at 2009年06月09日 14:08
いつも、口ばっかりですが・・・
言いたかったことは、
道具(この場合住まい)の、物理的寿命と、社会的寿命は、全く別物だということです。
社会的寿命について言えば、
トタン小屋でも、役目が常に続いていれば、張り替えながら、補修しながら何年も持つでしょうし、
逆に都会では、とても立派で新しい建物でも、主に経済的理由により、マンションに建て替えられることがままあります。
それは、建物の物理的寿命とは別物で、
それををごっちゃにすると、話の論点がぼやけてきそうなきがします。
それぞれに、別の手法と方法論が構築されなければならないようなきがします。
言いたかったことは、
道具(この場合住まい)の、物理的寿命と、社会的寿命は、全く別物だということです。
社会的寿命について言えば、
トタン小屋でも、役目が常に続いていれば、張り替えながら、補修しながら何年も持つでしょうし、
逆に都会では、とても立派で新しい建物でも、主に経済的理由により、マンションに建て替えられることがままあります。
それは、建物の物理的寿命とは別物で、
それををごっちゃにすると、話の論点がぼやけてきそうなきがします。
それぞれに、別の手法と方法論が構築されなければならないようなきがします。
Posted by honda
at 2009年06月09日 19:00

建物を長く使うかどうかはいろいろな要因がありますね。
でも美しい(経年した後も)ということも非常に大きな要因だと思います。
今回の木村さんの建物、すごく美しかったですね。
でも美しい(経年した後も)ということも非常に大きな要因だと思います。
今回の木村さんの建物、すごく美しかったですね。
Posted by 岩波正 at 2009年06月09日 20:34
一般の方のご意見の中で、
自分の生涯、親や子供の来し方行く末を冷静に見ると、
家の寿命とは20年~30年あればいいのでは、というご意見があったのですが、
そのお話の中には、
耐久性を伸ばす事にお金が必要というニュアンスがあったように思われます。
しかし、いくら「設計」で耐久性の性能を落としたところで、
そんなにコストダウンにはならないように思います。
今の建物は、そのような部分をいくらけちいても、そんなに安くならない。
安くするには、現在の過剰な生産システムを上手く利用して、
掘り出し物をうまく使うとか、その生産システムに合致した建物を作るとかであって、
「設計」の入り込む所ではない部分で
コストが左右されるようにも思われます。
そう考えると、耐久性を短くするという議論は、
あまり良い成果を生まないように思われます。
耐久性を短くするのではなく、
代が変わっても、持ち主が変わっても、もしかしたら、用途が変わっても
なお、使い続けられるには、どのようにすればいいのか?
という考え方で、
ものづくりの方は、考えていくべきではないかと思います。
自分の生涯、親や子供の来し方行く末を冷静に見ると、
家の寿命とは20年~30年あればいいのでは、というご意見があったのですが、
そのお話の中には、
耐久性を伸ばす事にお金が必要というニュアンスがあったように思われます。
しかし、いくら「設計」で耐久性の性能を落としたところで、
そんなにコストダウンにはならないように思います。
今の建物は、そのような部分をいくらけちいても、そんなに安くならない。
安くするには、現在の過剰な生産システムを上手く利用して、
掘り出し物をうまく使うとか、その生産システムに合致した建物を作るとかであって、
「設計」の入り込む所ではない部分で
コストが左右されるようにも思われます。
そう考えると、耐久性を短くするという議論は、
あまり良い成果を生まないように思われます。
耐久性を短くするのではなく、
代が変わっても、持ち主が変わっても、もしかしたら、用途が変わっても
なお、使い続けられるには、どのようにすればいいのか?
という考え方で、
ものづくりの方は、考えていくべきではないかと思います。
Posted by honda
at 2009年06月12日 22:41
